他者の本質

自己意識が見る主観世界に登場する、数多の意識を持つ他者。 それは自己にとって、どのような存在なのかというと、以下のような存在である。


他者もまた意識を持つ

そもそも世界というのは、実際には、ありとあらゆるものに宇宙意識が行き渡っている。だから本当は、生物・物質・空間、関係なく、あらゆるものに意識がある

ただし、意識の状態はそれぞれ異なる

人間が感じるような意識が唯一絶対のものではなく、もっと曖昧だったり、逆に鮮明だったり、感受が異なっていたり、鈍かったり鋭かったり、あるいは単数であったり、複数であったりもする。

意識というのは、これがただひとつの状態だという唯一絶対がない

実際には、人間同士ですら意識の質や状態というのは異なる。

そしてそれらの意識は、すべてが自己意識と同じく宇宙意識のひとかけらだ。

自己の意識と、他者の意識。

まったく異なるように感じられるが、それは、自己を個だと認識することによって生じる切り離された意識であり、実際には、混ざり合うこともあれば一体になることも可能だ。

これが、意識の曖昧さであり、連続性でもある。

私たちというのは、人間同士であっても、動物でも、あるいは自然環境に対してすら、ふと他者の気持ちが伝わってくるとか、雰囲気を感じるとか、感情が伝染するとか、なんとなくわかるというような体験を、一度はしたことはないだろうか?

これらは、意識というのは実際には区切られたものではないからこそ起こるわけだ。


主観世界と他者

私は世界の本質にて、実際には他者と別々の夢を見ているのに、同じ構造が在るのを見て、同じ夢を見ていると思い込むようなものだと説明した。

実際に、主観世界に映る他者というのは、主観世界を通して見た他者であり、他者の主観世界に映るあなたというのもまた、他者の主観世界を通したあなたの姿だ。

それらは、別々の夢から似た構造を目にするのと同じことで、まったく同じものを見ているわけではない。

主観世界の他者は、自己意識が構築した他者であり、他人の主観世界のあなたは、他人の自己意識が構築したあなたでもある。

それでも、これらをパラレルワールドのようにイメージするのは少し誤解が起こる。

実際には、XYZのような座標というものはなくて、ただ、宇宙意識の中にある、自己意識という部分が、自分の周りに、数多のビジョンを見ているような状態だ。

その数多のビジョンというのは、宇宙意識からできている。

それらの宇宙意識もまた、自己意識と同じで宇宙意識のひとかけらであり、同時に、あまねく宇宙意識が行き渡った姿でもある――という状態だ。

それらは場所・座標・時間のような概念の中にあるものではないから、関連性があるものは紐付きあって現れるし、関連性が失われればそこから消える。

位置が近いとか遠いとかではなくて、まるでPCモニターの画面を切り替えるように、自己意識が持つ魂の記憶が現象化するのに合わせて、表示と非表示が切り替わるようなものだ。

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