霊的存在を感じる理由
霊的存在を感じる人・感じない人がいるのはなぜか?
また、霊的存在を感じやすい場所があるのはなぜか? ということを以下に説明する。
霊的存在を感じる人と感じない人がいる理由
世界の本質でも説明したように、私たちが体験している世界というのは、実際には別々の主観的な観測であるため、世界に個人差があるのは、そもそも当たり前だ。
そんな中でも、どうして、霊的存在を感じるか感じないかの差が生まれるかというと、主に以下の要素がからんでいる。
1:主観の差
自己意識が持つ主観世界の「当たり前」が、物質があることが存在としての絶対条件である場合、それ以外の存在というのは、そもそも観測不可能だ。
これは、(他のあらゆる事柄についてもそうだけど)表層意識が理解する常識ではなく、もっと深部、自己意識が理解している常識による影響だ。
だから表層意識が、もしも「目に見えない存在がいるかもしれない」と感じていたとしても、自己意識があると理解していない主観世界においては、あくまでも空想上のことと処理される。
だから、そのような魂の主観世界にとって、不可視の存在というものは無いものである。 なぜなら、主観が感受しないからだ。
でも、一方で、不可視の存在があると自己意識が理解している魂における主観世界においては、不可視の存在は、何らかの機会に感知されることは充分に起こる。 なぜなら、主観があるものとして感受するからだ。
2:空間の差
これは、人に対しても場所に対してもそうなのだけど、霊的存在がいる世界に近い空間(雰囲気やエネルギーといったもの)がある場所というのは、霊的存在の主観世界と地続きになりやすい。
どういうことかというと、未来を作る因子にて、主観世界にある現象というのは、魂の記憶が持つ因子が投影された状態だという説明をしたけれど、それに関連がある。
というのも、因子の投影というのは、今ある主観世界と連続性がなければ起こらない。
つまり、霊的存在がいる世界に近い空間とか、精神的なエネルギーの場というのは、同じような雰囲気や気配をまとうことによって、その世界との連続性が生まれるというわけだ。
霊とか、意識体やエネルギー体だけしか持たない高次存在というのは、それはそれで各々の自己意識があって、それぞれの主観世界にいる。
互いの主観世界に映り込み合うというのは、それだけ連続性がある関係同士だからだ。
自己意識というのは宇宙意識のひと粒だけど、意識同士というのは、XYZのような座標、時間、数や形、そのような概念が無い。
まるでテレビのチャンネルを切り替えるかのように、主観世界同士に連続性が生まれたら、チャンネルが繋がり合うかのように、観測できる対象になりあう。
そして、この連続性を生む場所というのは、個人が持つエネルギーの場のこともあれば、場所自体が持つエネルギーの場のこともある。
だから、霊や不可視の存在に繋がりやすい人や繋がりにくい人がいたり、あるいは、人ではなくて、場所でもそのようなことが起こるというわけだ。
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