魂の課題

魂の課題とは、個人個人が生まれ持つ、今生で魂が果たしたいことを、私はこう呼んでいる。

自己意識が「私は生まれた」と認識して、この主観世界の感受を始めた以降のことを今生と呼ぶ。
一方、「私は生まれた」と認識するよりも以前のことを、過去世と呼ぶ。

この一般的な呼称に従って、以降、説明する。


過去世の経験で生まれる課題

魂の課題は、過去世における経験から作られる

過去世における経験とは何のことかというと、過去世の主観世界との関わりによって蓄積した情報・魂の記憶のことである。


魂の本質的な欲求

そもそも、誰の魂にも普遍的とも言える、本質的な欲求が存在する。

それは宇宙意識に還りたいという欲求だ。

もっと具体的に言うと、安らかな幸福・穏やかな満足・意識の自由と開放を本質では求めている

だから基本的な原動力は、そこから起因する。

でも、そうは感じられないと思う人もいることだろう。
もっと刺激的で、情熱的で、感情的なことを求めていると思う人もいるだろう。

それは、表層意識(自己意識が自分自身だと認識している、思考や感情や価値観)、生きる中で構築された価値観の形成に所以する。

現代社会では、刺激的なこと、感情的なこと、激しいことこそが、幸せだ・楽しいことだと発信しているものが多い。それらに触れることで、それにこそ幸せがある・楽しみがあると思いこんでいる状態になっている。

これは現代社会だけではなくて、過去世でもそのような経験があった。情報を受けてきた。

だから、そういったものにこそ価値があるのだと信じている。

そもそも私たちというのは、本来なら主観世界の一部でしかない、自己の思考や感情や肉体までもを、自分自身だ・自分の本質だと錯覚している。
それと同じように、本当に自己意識にとって快適な状態というのも誤解しているのだ。

これが、本質的な欲求と表面的な欲求がズレている原因だ。

では、本質的な欲求に今すぐ還るべきか? というと、理屈で言われてそうできないのが普通だろう。頭でわかって我慢しても、それは単なる我慢・抑圧であって、欲求不満になるだけのはずだ。

ここでハッとなれる人は、すでに魂が本質的な幸せを求める段階になっている。

でもそうじゃない場合は、自己意識自体が納得していないことになる。
ようするに、魂自体が偽の幸せに囚われている状態というわけである。


魂の課題の4分類

魂の課題は人それぞれ違う。

何かを体験することが目的の魂もあれば、何かを手放すことを目的とする魂もある

これらは、一見真反対に見えるけれど、いずれも魂が幸福を目指すための働きだ。

ステップ1:体験する

何かを体験するというのは、幸せを求める働きの第一歩だ。

その体験の先でこそ望みが叶うと信じて、それを得ることで幸福を得ようとする働きだ。

幸せを錯覚して渇望することで、これが始まる。
錯覚しなければ始まらないけど、すでに課題として持つからには、その情熱の炎は消せないはず。やり切る必要があるだろう。

ステップ2:手放す

何かを手放す目的は、体験のあとで生じる

これまでの体験によって、魂はすでに、その体験にまつわる経験の蓄積をたくさん持っている。だから、その体験から離れたい・手放したくなったら、今度は因子を消す必要がある。

その、因子を消す過程で多くの苦労を経験しやすい。

でも、自己意識自身はその体験にウンザリしているからこそ、手放すという過程が生じる

ステップ3:気付く

ふたつのステップを終えたあとの自己意識というのは、もうすでに、色んな体験と手放しを経験しつくしたあと、本質的な幸せが、主観世界のどこにも無いことに気付く

この時点で、自己意識は生きることに対する虚無感とか、何か満たされないかんじ・居場所がない感覚を覚える。

このまま、世界の本質を知れればそこに向かえるかもしれないけれど、それに行き着けない自己意識は社会常識に囚われて、虚無感を覚える自分が変なのだと思って、もう一度体験の過程へ踏み込もうとしやすい。

でも、そこから大きな幸せを得ることは、もはや無いはずだ。

欠乏感や何かズレた感覚を抱えたまま生きることになる。

ステップ4:高次存在の手助け

ステップ3の段階へ行き着いた魂を本質的な幸せへの流れへ導こうとして、高次存在が色んな種を世界中に撒いている。 そこに接触することができたら、宇宙意識へ還るプロセスへ入っていけるようになるハズだ。

このように、魂の課題というのは、大きく分けると4つのステップに分類することができる

⏪前のページ:未来を作る因子 次のページ:課題を越える方法