宇宙意識
世界の仕組みの章にて一貫して語っている根源とも言えるもの――宇宙意識。
これがなんなのか、ここで詳しく解説する。
宇宙意識はどういう状態?
それは、世界そのものの本質であり、同時に、自己意識が“私”という個があると認識することで魂に分離した、それよりも先。
私たちの元々の状態、つまり本来の状態である。
この状態であると、もはや自他の区別はない。
何もしなくても穏やかな幸福感に満ち、満足感にあふれる。
これを例えると、愛・幸福・満足という概念自体の海の中に横たわるような状態で、それ以外にはなにもない。
自己も他者も世界も、すべてがそれ自体になった、溶け合った、そのような状態である。
それでいて、宇宙意識というのはあまねく世界に行き渡っている。
だから、あらゆるものを知り、姿を取り、体験して、また戻ることが可能だ。
これが本来の宇宙意識としての姿だ。
どうして自己意識(魂)になったのか?
私を“これが私だ”と錯覚するメカニズムについて。
宇宙意識というのは、本来、あらゆるものであるけれどあらゆるものではない。
このような、人間の言葉では語れない性質だ。
物質しか知らない人にとっては、非常にあいまいで、無とも思えるような性質だ。
何者でもなく無いけれど、同時に、満たされていて、あらゆるものでもある。
これが宇宙意識の性質だ。
本来あまねく意識でもあり、無限大(文字通りの無限大)の意識や変性を持つ。
そんな存在が、あまねく変性の中で過ごしていると、(実際には時間も生活もないので、過ごすというのも語弊がある言い方だけど、ここでは便宜上そう表現する)あるときに、ふと変性で意識の中にぽっと現れた光に集中する。
集中すると、そこから視線が外せなくなる。つまり意識が外せなくなる。
たとえばゲーム画面に移ってるプレイヤー・キャラクターは、それが自分だと表示されていなくても、コントローラーの十字キーを押せば動くし、画面の真ん中にいたりする。そうやって自然と、このキャラクターはプレイヤーが操作できる自分なんだと受け入れるかと思う。
それと同じようなもので、集中した光の中に入り込んで、それが自由に動く。走る。そして光を通して景色を見る。ここから、これが私だという錯覚が始まるわけだ。
宇宙意識というのは、私たちみたいなハッキリとした思考とか論理とか言語のようなものはなくて、もっと、あいまいな、しかし思考などよりももっと、大きく広がって澄み渡るようなかんじのする、思考というのか、そういう意識の動かし方をする。
だから、ごちゃごちゃとものを考えるというよりも、反射とか直感に近いような反応をする。 だから、入り込んでしまうのは一瞬だ。 気がつくと、そこに囚われてしまって、集中している部分――例えば光なら、光の部分だけしか、意識の中に映り込まなくなる。
これが、元々はあまねく意識だったはずなのに、自己意識という個の意識しか認識できなくなる理由である。