苦の因子を避けることで不幸を遠ざける第2の行動は「色事を避ける」こと。
色事を避けるというのは、異性を嫌えとかオナニーを避けろ、セックスを避けろ、という意味ではない。
具体的には、性的な関係のための人間関係を作ったり、性的な価値観で他人を見たり扱わないという意味だ。
つまり、セフレを作るとか、不特定との性的関係もそうだし、性的な目的で誰かに近付く・関わりを持つ、そのような行動というのは、苦の因子に繋がりかねないですよという意味だ。
なぜかというと、それらの行動というのは、他者を利用すること・欲望を増幅させること・他者の心をないがしろにすることに繋がっているからだ。
それらは、利用される、心をないがしろにされる、内面を見てもらえないという因子を生みやすい。
そんなつもりはないと感じる人もいるかもしれないけれども、性的関係を目的に他者を見たとき、本当に相手の内面を見ているか? 相手を思いやれるか? というと、そんなことはないはずだ。そこには、利己的さや自分を優先した態度や関係への関連があるのではないだろうか。
性欲というのは、快に対する願望だ。時にはそこに精神的な依存が乗っていたりもする。
いずれにしても、そこにあるのは自分自身の快適さのために相手を利用するという根源だったりする。
時には、それは浮気や不倫に結びついたりもする。
浮気や不倫に至っては、誰かが大切にしていたものを奪い取る・信頼を裏切る・周囲に深い精神的な痛みを与える等といった、深い深い傷を生む行為となる。
さらに、そのような行為でできてしまった子供というのは、堕胎に繋がる可能性も高かったりする。これも、深い深刻な傷を生んでしまうものなのは、おそらく誰でもわかることだと思う。
だから、負の因子を積みやすい構図がとても起こりやすいのだ。
このように、これは、そこに築く他者との関わりに絡んだ負の因子の生みやすさの話なので、オナニーやセックス自体が良くないという話ではない。
そのため、もちろん例外もある。
それは愛に基づいた愛情表現としてのセックスや、子供を作る目的があってのセックスだ。
内面を尊重した関わりを持つとか、相手を同じ対等な人として尊重しあっているというバックボーンがある上で、相手を深く感じたいとか、一体化したいという動機の元、愛のための肉体的な交わりがあったとする。
それについては、この避けるべき色事とは別の動機が絡むし、別の繋がり方、別の動機が起こるだろう。
相手の内面を慈しむ、愛おしむ、大切にする、そのための表現方法としての、それがきちんと伝わる形でのセックスというのは、負の因子に結びつきにくい。
他者との関わりがない色情、つまりオナニーについてだ。
これは誰かとの関係が生まれるわけではないため、基本的には負の因子とは関係がない。
ただ、そのために他者を性的に見ることを助長する情報を積極的に取っているような状態だと、負の因子を積みやすい振る舞いに移行してしまう恐れがある。
そうなってしまう行為というのは、あまり良いこととは言えない。
ただ、性を漏らす(つまり、性的な刺激でスッキリとする)ということ自体は、単なる性エネルギーを浪費することでしかないので、何かそのエネルギーを使うことをしたいという目的がないのなら、特に問題のないものだ。
オナニーも断ったほうが良い事例というのは、エネルギーワーク系の修行したい場合とか、活力が得たい場合、実現したい願望が存在する場合など。
性エネルギーを利用する必要性がある場合は、エネルギーを貯めるという意味で、そうするのがベストだ。
このような負の因子が減るとどうなるかというと、以下のような体験が現れやすくなる。
このような負の因子が増してしまうと、どんな影響を受けやすくなるかというと、以下のような体験をしやすくなる。